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9歳で永眠した文鳥が教えてくれたこと 老鳥の脚が弱ってきて止まり木の段差を低くしたら,運動量が減るので肥満に気をつけましょう。なによりも文鳥の様子をよく観察すること

9歳で永眠した文鳥が教えてくれたこと 老鳥の脚が弱ってきて止まり木の段差を低くしたら,運動量が減るので肥満に気をつけましょう。なによりも文鳥の様子をよく観察すること

2021年11月23日、シルバー文鳥のふうたん(♀)が永眠しました。享年9歳。文鳥の平均寿命は8~10年,シルバーは若干弱いのでそれより短いこともあります。長生きしてくれたことは間違いないのです。でも、私がもっとふうたんの様子に気を付けていれば、より長生きできたと思います。

ふうたんの亡くなった経緯を書こうと思ったのは,老化して足が弱くなった文鳥のケアの仕方の参考事例になるのではと考えたためです。ふうたんは、自分が喋ることはできなかったけれど、獣医さんの口を通じて私に「老化して運動量が減ったら肥満に注意して」「文鳥の様子をよく観察して」という教訓を残してくれました。私がこうしてブログに記録して公開することによって、世の中の文鳥たちが天寿を全うして、ストレスなく旅立つことができればと願っています。

最後の2日間の記録

亡くなる前日の11月22日、かかりつけの獣医さんで、ふうたんとくうたんを診察をしてもらいました。この診察は、ふうたんではなく、くうたんの食欲がない日があることが心配で予約していたものでした。ふうたんを連れていったのは、以前から足が弱っているところ止まり木から落ちることが多くなっているので対処法が何かあれば…という相談と、爪を切ってもらうためでした。

その前の週から、止まり木から落ちることがそれまで以上に増え、また、落ちたあとに止まり木に戻る力も落ちていました。ふうたんのケージは、止まり木の段差をどんどん小さくしていって、最後の一週間は下段だけにしていました。

脚力(つかむ力)が弱くて止まり木から滑って落ちてしまうため、今年の夏頃から、ふうたんはエサ入れのふちによく止まるようになっていました。そのためか、目の前のエサを食べる姿もよく見かけました。食欲があることは元気な証拠と思って,私はエサをよく食べる姿を安心して見ていたのでした。

くうたんの診察がおわり,ふうたんの診察になりました。獣医さんは驚いて声を上げました。

「ふうちゃん、どうしてこんなに脂肪がついてしまったんですか?言い方は悪いけれどもこれはいつ死んでもおかしくないぐらいの脂肪のつき方です。胸の下もこんなに膨らんでいます 」

私はとてもショックをうけました。羽毛の下にそんなに脂肪がついているなんて。気が付かなかった。。文鳥は羽毛に覆われているので羽毛をかき分けないと肉付きまではわからないのです。

亡くなる4か月前からの変化の様子

4か月前の 7月下旬に診察してもらった時には、ふうたんに脂肪はついていませんでした。その時の体重は26g、 そして亡くなる前日の体重は30g。一般的に文鳥の体重は23~28g。個体差もありますが,ふうたんの今までの体重の変化からするとかなり重くなっていました。

 7月下旬に診察したとき、くうたんもふうたんも肝機能が低下しているということだったのでラウディブッシュフォーミュラー AL にフードを切り替えました。 最初のうち、ふうたんはあまり好んで食べていませんでしたが、徐々に慣れて食べてるようになりました。とはいえすべてをフォーミュラALにするのではなく、今まであげていたラウディブッシュデイリーメンテンスにALも少し混ぜている程度でした。

その頃からふうたんは、エサ入れのふちに止まることが増えていました。他方で換羽も始まり、一気に尾羽が6本も抜ける日があり、脚力は弱っていても換羽があるということは元気なのだろうと考えていました。 

9月下旬頃から、ふうたんが止まり木に一番下の段に止まっている時間が長くなりました。また、ケージの上に飛び上がって出てくる力はないので、かわりにケージの前の出入口を開けておくようにしたら、そこからケージの外に出てくるようになりました。そこでまったりしている姿をよく見かけました。

その後、ケージの中にいる時には、止まり木ではなくエサ入れふちに止まってまったりしている時間がとても増えました。それでも、10月中旬時点では 毎日水浴びをしていましたし,食欲も旺盛でした。止まり木からは相変わらずよく落ちていました。

11月上旬、ふうたんは止まり木から本当によく落ちるようになりました。左足はもう力が入らず、右足で支えているような状況でした。エサ入れは四角いため、その角の部分にいると足の滑りがそこで止まるのですね。だから、そこを好むのだということがよくわかりました。

試しに止まり木をぴったりくっつけて2本にして、止まり木をつかまなくても座るような形で休めたらいいかなと思って設置してみたのですが、そこには止まろうとしませんでした。発想を変えて、逆に細い止まり木に変更してみましたが、止まり木だとやはり滑ってしまうのであまり好みませんでした。

そして、夜もずっとエサ入れにつかまって寝るようになりました。エサ入れの中に糞が落ちていることがしょっちゅうありましたので,気の毒に思ってもう一箇所、同じ高さの少し離れた場所にエサ入れを設置しました。

11月10日 仕事から帰宅したら、ふうたんがケージの下にいました。止まり木に戻りたくても自力で止まり木まで戻れず、そのままケージの底にいたようです。夜、ベッド代わりになるかと思って、昔使っていた大きな半月型の水浴び容器の中に布を入れてケージの底に設置してみましたが入りませんでした。

11月13日 ふうたんは泊まり木から落ちると戻ることがうまくできず、ひっくり返ってしばらく仰向けになっている姿をみることがあり、飛ぶ力が一段と弱まったことを感じました。そのためすべての止まり木を下段に設置しました。エサ箱は2か所に分散設置したままです。水浴び容器にも入りやすくなったようで早速,水浴びをしていました。

11月17日 ふうたんのケージに皿巣を置きました(一時期設置していたものと同じ形を新規購入)。皿巣の中であれば足の力が弱っていても休むことができるので、そこで寝たり,日中も休んだりしてくれるといいなと思いました。しかしそこにはあまり入ろうとはしませんでした。皿巣のふちに止まると爪が引っかかるので止まりやすいということは理解しているようでした。

ふうたんはこの数日間、水浴びをしていませんでした。ケージの底に落ちるとケージの底に落ちている糞が羽につきます。羽が汚れてしまい、胸にもお腹にも糞が少しついてしまっていました。不憫に思いましたが、水浴びはしたくなったらするだろうと思ってそのままにしました。

11月21日 朝から雨が降り、冷え込みがぐっと厳しくなりました。ふうたんは寒そうにして背中にクチバシを突っ込んで丸くなっていました。

11月22日 ふうたんは依然として体を膨らませて頭を後ろに回して、朝から皿巣の中で寝ていました。この日は獣医さんにふうたんとくうたんに連れて行きました。そこで言われたのが冒頭の急激な肥満のことでした。

脂肪が大きくなり、体が重くなって身体を支えられなくなって、止まり木から落ちてるのかもしれないとも言われました。止まり木の段差を低くしてエサ箱の場所も増やしていたのですが、それによって運動量がさらに減り、脂肪が急激についてしまったのだと思います。

 ふうたんが寒そうにしていることについて、獣医さんに「部屋の温度は28°cに設定しているのですが…」と言ったところ、「部屋の温度が何度という問題ではなく、文鳥が寒そうにしていれば文鳥にとってその部屋は寒いということ,よく文鳥を観察してください」と言われました。

帰宅し、暖房の温度を上げて、早々に文鳥たちを寝かせました。獣医さんに聞いたところ餌を1日ぐらい食べなくても大丈夫ということでしたので、夜間にふうたんがたくさんエサを食べてしまうのを防ぐため、ふうたんのエサ入れはからにしました。肥満解消に向けては少しずつご飯を減らしていくしかないと言われたので、明日からふうたんダイエットだねと考えて眠りにつきました。

お別れの日のこと

11月23日 朝8時 寝るときにかけている風呂敷を取ったところ、ふうたんがケージの底にうずくまっていました。目は半開きで潤んでいました。体もほんのり温もりはありましたが、右足がぴんと伸びていて左足は曲がったまま。体はぐんにゃり。くちばしはふだんの桜色ではなく紫色になっていました。手の中にふうたんをのせ、声をかけましたが反応はありませんでした。昨日の朝は皿巣に寝ていたのに今朝はケージの底にいたということは、底に落ちて戻ることができなくなってしまったのだろうと思いました。

あまりにも突然のお別れで、最初は現実のことと思われず涙も出てきませんでした。しばらくすると亡くなってしまったことを認めるしかなく、なぜもっと早く起きて気がつかなかったのだろう、なぜもっと早くに皮下脂肪に気が付いてあげなかったのだろう、なぜこの2日間とても寒そうにしていたのに手の中でもっと温めてあげなかったのだろう…。いろいろな後悔が一気に押し寄せて、涙が出てきました。

ふうたんは実家の庭に埋葬しました。小鳥の埋葬方法をインターネットで調べたところ、50センチメートル以上の穴を掘って石灰と共に埋めると良いといことでしたので、そのとおり実行しました。

この日はよく晴れた祝日でした。私の仕事が休みの日を待って旅立ったのだと思います。最後まで飼い主のことを考えて、旅立つ日を決めたのでしょう。とても賢く、優しくて控えめなふうたんらしい決断でした。両親がお墓に可憐な花を植えてくれました。いまはお墓の中で、ゆっくりと、文字通り羽を休めています。

2012年生まれのふうたんは、2021年で9歳でした。私と過ごしたのは2014年から8年近く。たくさんの幸せな思い出、ふうたんが手のなかにいるときの温もりは、これからもずっとずっと忘れません。ふうたん、ありがとう。

最後に

ふうたんという大切な家族が亡くなったことの喪失感は大きく,今も悲しみは続いています。涙がでるタイミングもコントロールできません。それでも、くうたんがいてくれることに支えられ、また両親や友達の温かい励ましに支えられ、少しずつ気持ちが落ち着いてきました。読書にも助けられました。OPTION Bというレジリエンスについて書いた本が役立ちました。そのことはまた改めてつづります。

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